「本人はそんなつもりで言っていなかったのに、切り取られた10秒だけが拡散されて、まったく別の人物のように見られてしまった」。街頭演説の一言や、討論会でのやり取りの一部分だけが切り抜かれ、文脈を無視した字幕やタイトルがつけられて拡散される――候補者や陣営スタッフであれば、選挙戦のどこかでこうした場面に遭遇したことがあるのではないでしょうか。しかも発信元は候補者本人ではなく、再生数や登録者数を稼ぐことを目的にした第三者の「切り抜き系」YouTuberやSNS投稿者であることが多く、陣営側からは手の出しどころが見えにくいというのが実情です。本記事では、候補者・陣営が自身の発信ではなく第三者による拡散にどう向き合うか、その考え方の整理と、2026年7月に成立した法改正の内容を踏まえて解説します。
なぜ切り抜き動画が候補者を悩ませるのか
切り抜き動画そのものは、必ずしも悪意によるものだけではありません。長い演説や討論会の映像から、視聴者が見やすいように要点をまとめて紹介する投稿者も存在します。問題になるのは、再生数や広告収益を目的として、あえて誤解を招くタイトルやサムネイル、字幕を付けて過激に見せる投稿です。こうした動画は本人の発言意図とは異なる印象を与えることが多く、しかも短時間で大量に視聴・共有されるため、訂正が追いつかないという構造的な難しさがあります。動画が拡散した後に元の演説の全文や前後の文脈を紹介しても、多くの視聴者はすでに最初に見た切り抜きの印象のまま情報を止めてしまいます。
2024年11月の兵庫県知事選では、立花孝志氏らによるSNS上のデマや誹謗中傷、そして収益目的の政治系YouTuberによる大量の切り抜き動画拡散が大きな社会問題となりました。丸尾牧県議や、故・竹内英明元県議に対する攻撃はその代表例として広く報じられ、選挙後も長く議論が続きました。同様の課題は2024年の東京都知事選でも指摘されており、これらの出来事が、2026年の公職選挙法・情報流通プラットフォーム対処法(情プラ法)改正の直接的な後押しとなったと言われています。
切り抜き系チャンネルの多くは、選挙という「関心度の高いテーマ」を収益化の機会としてとらえています。再生数が伸びやすいのは、平坦な説明よりも、対立や失言に見えるシーンです。そのため、投稿者側には意図的に文脈を外して煽情的に見せようとする動機が構造的に存在します。候補者や陣営がどれだけ丁寧に説明していても、切り取り方次第で印象は大きく変わってしまう――この非対称性を前提に構えておくことが、対応を考えるうえでの出発点になります。
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候補者・陣営がコントロールできる範囲とできない範囲
まず整理しておきたいのは、切り抜き動画や第三者の発信は、候補者自身の発信ではないという点です。自陣営の公式SNSであれば、投稿内容や表現、公開のタイミングまで自分たちで決められます。しかし第三者が独自に作成し、独自のアカウントで公開する動画については、そもそも投稿するかどうか、どのような編集を加えるかという判断は相手側にあり、陣営側が事前にコントロールすることはできません。
この前提を陣営内で共有しておくことは、思いのほか重要です。「対応が後手に回っている」という焦りから、的外れな抗議や過剰な反応をしてしまうケースは少なくありません。まずは「これは自分たちの発信ではなく、第三者の発信である」という区別を冷静に持つこと。そこから、対応するかどうか、対応するとしてどの手段を選ぶかを考えていくのが実務的な順序になります。
もう一つ意識しておきたいのは、コントロールできないからといって「何をしても無駄」というわけではない、という点です。直接その動画を止めることはできなくても、プラットフォームへの申出、事実に基づく公式発信、支援者への周知など、間接的に状況を良い方向へ動かす手段は複数あります。「直接は止められないが、周辺から働きかけることはできる」という考え方の切り替えが、無力感による放置や、逆に過剰反応による炎上、どちらの極端も避ける助けになります。
2026年の法改正で何が変わるのか
2026年7月13日、改正公職選挙法および改正情プラ法が成立しました。施行は2027年3月1日で、2027年春の統一地方選挙から適用される予定です。候補者・陣営としては、今すぐ何かが変わるわけではありませんが、今後の選挙運動のルールが変わる前提で準備を進めておく必要があります。
改正公職選挙法・改正情プラ法の施行時期
施行日は2027年3月1日、実際の選挙での適用は2027年春の統一地方選挙からとされています。今回の兵庫県知事選や都知事選での問題を踏まえた改正であることは各種報道で共有されている事実ですが、細かな運用ルールについては、この記事を書いている2026年7月時点でもまだ確定していない部分が多くあります。
SNS事業者に義務付けられる対応
改正情プラ法では、大規模なSNS事業者に対して、偽情報の拡散対策を実施すること、そしてその対応状況を年1回公表することが義務付けられました。ここで注意したいのは、これは「偽情報を削除する義務」そのものを新設したわけではないという点です。事業者側に対策の実施と説明責任を課すものであり、個々の投稿を削除するかどうかの最終判断は、依然として各プラットフォームの規約と運用に委ねられています。とはいえ、対応状況の公表が義務化されることで、これまで不透明だった事業者側の姿勢が可視化されやすくなる点は、候補者・陣営にとっても一つの前進と言えるでしょう。
虚偽事項の公表罪・なりすまし罪の明確化
もともと公職選挙法には、虚偽の事実を公表して選挙の公正を害する行為を罰する「虚偽事項の公表罪」(235条2項)と、候補者になりすます行為を罰する「なりすまし罪」(235条の5)が存在していました。今回の改正では、これらの規定がSNS上の発信にもそのまま適用されることが明確化されました。つまり、切り抜き動画やSNS投稿であっても、内容が虚偽の事実の公表やなりすましに該当する場合は、既存の刑事罰の対象になり得るということです。
有権者の責務規定と罰則の有無
あわせて、有権者にも「偽情報によって選挙の公正を害してはならない」という責務規定(142条の7)が新設されました。ただし、これは努力義務的な位置づけであり、新たな罰則が設けられたわけではありません。拡散する側の一人ひとりに自覚を求める趣旨の規定と理解しておくとよいでしょう。なお、削除申出への対応など、より実務的なルールの詳細は総務省のガイドラインを待つ必要があり、2026年7月現在、確定していない部分が多いというのが正直な現状です。今後ガイドラインが公表された段階で、対応方針をあらためて見直しておくことをおすすめします。
削除申出や通報という選択肢
切り抜き動画の内容が名誉毀損や、先ほど触れた虚偽事項の公表に該当すると考えられる場合には、何もできないわけではありません。情プラ法では、2025年4月に先行する部分が施行されており、大規模なプラットフォーム事業者は、利用者からの削除申出に対して、原則として1週間程度で判断・通知を行う義務を既に負っています。つまり、明確に権利侵害が疑われる投稿については、プラットフォームへの削除申出や通報という手段が現時点でも用意されています。
もちろん、申出をすれば必ず削除されるというものではありません。表現の自由との関係もあり、事業者側が「削除には至らない」と判断するケースも当然あります。それでも、放置するのではなく、記録を残しながら正式な手続きに乗せておくことには意味があります。悪質性が高い、あるいは繰り返し行われていると感じる場合は、この段階で弁護士に相談し、法的な対応を含めて検討する価値があるでしょう。
手続きを進める際には、動画のURLや投稿日時、再生数の推移などをスクリーンショットで記録しておくことが役に立ちます。動画は事前の告知なく削除・非公開にされることもあるため、後から「そんな動画は見当たらない」という状況になってしまうと、削除申出や相談自体が難しくなります。地味な作業ですが、証拠の保全は初動対応の中でも優先度の高い項目です。
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無視すべきか、反論すべきか判断の考え方
切り抜き動画やSNS上の批判的な投稿を見つけたとき、陣営として毎回反応する必要はありません。むしろ、多くのケースでは静観したほうが結果的にダメージを抑えられます。一方で、事実と異なる内容が有権者の判断に直接影響を与えかねない場合は、公式に訂正や説明を出すべき場面もあります。この判断基準をあらかじめ陣営内で共有しておくことが、選挙期間中の混乱を減らす鍵になります。
判断が難しいのは、明らかにクロと言えるケースと、明らかにシロと言えるケースの間にある、いわゆる灰色の領域です。誇張はあるが完全な虚偽とは言い切れない、失礼な表現ではあるが名誉毀損とまでは断定しづらい――こうしたケースこそ、あらかじめ基準を持っておかないと、担当者の裁量任せになり対応がぶれてしまいます。
無視すべきケース
再生数の少ない個人アカウントによる単発の投稿、明らかに誇張・煽り目的とわかる編集、あるいは既に拡散が落ち着いている古い動画への反応などは、基本的に無視して構わないケースです。ここで反応すると、むしろ「気にしている」という印象を与え、投稿者側にとってはさらに拡散する材料を与えてしまうことにもなります。実際、時間が経てば話題性そのものが薄れ、視聴数が伸びなくなって自然に埋もれていく動画も少なくありません。
公式に反論・訂正すべきケース
一方で、明確な事実誤認が拡散されていて、有権者の誤解を招く可能性が高い場合、あるいは名誉毀損に該当し得るほど悪質な内容の場合は、公式サイトや公式SNSで淡々と事実を説明する対応が必要になることがあります。ポイントは「感情的に反論する」のではなく「事実を提示する」という姿勢で発信することです。誰が見ても冷静で根拠のある説明であれば、支援者以外の有権者にも伝わりやすくなります。
判断に迷う場合は、「これは有権者の投票判断に影響するレベルの誤解か」を基準に考えるとわかりやすくなります。単に候補者の印象が悪くなるだけの動画と、政策や経歴について明確な事実誤認を広めている動画とは、対応の優先度がまったく異なります。すべてに同じ強さで反応しようとすると、陣営のリソースも消耗してしまうため、優先順位をつける発想が欠かせません。
反応することでさらに拡散してしまうリスク
収益目的で切り抜き動画を作る投稿者にとって、候補者側からの反応そのものが「ネタ」になります。反論すればそれを取り上げた新しい動画が作られ、無視すれば「逃げている」という別の切り抜きが作られる――こうした構造があることも理解しておく必要があります。だからこそ、反応するかどうかを感情で決めるのではなく、あらかじめ決めた基準に沿って判断することが大切です。
特に、選挙期間中は陣営全体が慌ただしく、担当者の判断だけで即座にSNS上で反応してしまう場面が起こりやすいタイミングです。誰が最終判断をするのか、どのチャンネルで発信するのかを事前に決めておくだけでも、無用な炎上を避けられる可能性は高まります。
実際には、候補者本人が反応しなくても、陣営スタッフが個人のアカウントで反論してしまい、それが「本人ではないが陣営の人間」として取り上げられ、結局は候補者に紐づけられてしまうというパターンも見られます。誰が、どの立場で発言するのかという線引きが曖昧なままだと、意図せず火に油を注ぐ結果になりかねません。
支援者の善意の拡散が炎上を招くケース
陣営が直接反応しなくても、支援者が良かれと思って切り抜き動画に反論コメントを書き込んだり、自身のSNSで拡散に対抗する投稿をしたりするケースがあります。こうした行動は候補者を守りたいという善意から出ているものですが、表現が強すぎたり、事実確認が不十分だったりすると、逆に「陣営が組織的に攻撃している」という新たな批判材料になりかねません。
支援者の熱意そのものは陣営にとって貴重なものです。だからこそ、選挙前のミーティングなどで「SNS上での反論は個人の判断に任せず、まずは陣営に相談してほしい」といった簡単な申し合わせをしておくことが、思わぬトラブルを防ぐ実務的な工夫になります。
特に候補者の家族や近い知人が、感情的な言葉で相手を批判してしまうケースは目立ちやすく、切り抜き投稿者からすれば「新しい燃料」として喜んで取り上げられてしまいます。悪気のない発言であっても、陣営と無関係な立場からの発信であることが伝わりにくいSNSの特性上、結局は「陣営全体の姿勢」として受け取られてしまう点に注意が必要です。
陣営として事前に準備しておきたいこと
切り抜き動画への対応は、問題が起きてから考えるのではなく、選挙戦に入る前に方針を決めておくことが望ましいと言えます。誰が動画やSNSの監視を担当するのか、どの段階で候補者本人や弁護士に相談するのか、公式な反論を出す場合の文言はどのように準備するのか。こうした点を事前にすり合わせておくだけで、実際に問題が起きたときの初動が大きく変わります。あわせて、判断に迷ったときの相談先(弁護士や選挙管理団体、支援してくれている専門家など)の連絡先を一覧にしておくと、深夜や休日に問題が発生した場合でも慌てずに動けます。
また、日頃から自陣営の公式SNSやウェブサイトで、候補者本人の発言や政策を正確な形で発信し続けておくことも、切り抜き動画による誤解を相対的に薄める効果があります。有権者が候補者本人の発信に直接触れる機会が多いほど、第三者による切り取られた印象だけに引き寄せられるリスクは下がっていきます。
切り抜き動画への対策は、選挙戦の一部だけを切り離して考えるものではなく、日頃のSNS運用や広報体制と地続きの課題です。候補者本人の発信を安定して続けること自体が、思わぬ形で最も効果的な備えになっている、というのはよくある話です。
よくある質問
Q1. 切り抜き動画に対して、削除依頼をすれば必ず削除してもらえますか。
必ず削除されるわけではありません。プラットフォーム事業者は削除申出への対応として、原則1週間程度での判断・通知を行う義務を負っていますが、判断の結果として「削除しない」という結論になることもあります。名誉毀損や虚偽事項の公表に該当する可能性が高い場合ほど、削除に至りやすい傾向があると考えられますが、個別の判断は事業者に委ねられています。
Q2. 2027年の法改正後は、切り抜き動画の扱いが大きく変わりますか。
SNS事業者に偽情報対策の実施と年1回の公表が義務付けられ、虚偽事項の公表罪・なりすまし罪がSNS上の発信にも適用されることが明確になるなど、枠組みは強化されます。一方で、個々の動画がどのような基準で削除・非表示の対象になるのかといった具体的な運用は、総務省のガイドライン整備を待つ必要があり、2026年7月時点では詳細は未確定です。
Q3. 支援者に「拡散に反論しないでほしい」と伝えるのは失礼にならないでしょうか。
伝え方次第です。「反論を禁止する」というより、「陣営として一貫した対応をとりたいので、気になる投稿があればまず教えてほしい」という形で協力を求めると、支援者の熱意を否定せずに済みます。事前にこうした共通認識を作っておくことは、多くの陣営にとって有効な工夫だと考えられます。
※本記事は一般的な考え方を紹介したものです。個別の事案への対応は、弁護士等の専門家にご確認ください。
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まとめ
切り抜き動画や収益目的の第三者による拡散は、候補者・陣営が直接コントロールできるものではありません。まずこの前提を陣営内で共有し、名誉毀損や虚偽事項の公表に該当する場合は削除申出や通報といった正式な手段があることを理解しておくことが第一歩になります。そして、すべての批判的な発信に反応する必要はなく、無視すべき場合と公式に説明すべき場合の判断基準を事前に決めておくことが、選挙期間中の混乱を減らします。2027年3月に施行される改正公職選挙法・改正情プラ法によって、SNS事業者側の責任は明確になっていきますが、具体的な運用の細部はまだ固まっていません。今後の総務省ガイドラインの動向にも注目しながら、陣営としてできる備えを進めておくことが大切です。
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